自分の将来を表明したことありますか?
自分の将来を表明したのはいつですか?
僕は昔から、人に何かを教えるのが好きだったし得意だと感じていました。
高校生の時大学に進学することに決めた時、一般入試ではなく、AO入試という専願推薦入試制度みたいなやつで受験することにしたんですが、
その受験では、「自己推薦書」「(学科の)志望理由」そして「学習計画」といった小論文と面接試験が採用されていました。
各小論文を書くにあたり、自分が将来何をしたいのか?みたいなことを書くにあたって、やっぱり人に教えるのが好きだから、学校の先生になりたいと思い、それを書きました。
それがたぶん人生で初めて「将来何をするか」を表明した出来事だったかなぁと思います。
でも結局、大学・大学院と経て一般企業に就職する道を選びました。
それは、よくよく考えたら、学校の先生って一度も企業に就職したり自分でビジネスをしたり、極端な言い方(現役の先生には失礼かもしれませんが)をしたら、一度も社会人を経験することなく先生の「資格」を取ったから先生をやっているだけのような気がして、
それなのに、やたら生徒には偉そうで「大人」を語ったり、就職について進学についてあーだこーだと言ったり、、、
なんだか、それって全然説得力無いな。。。って思ったわけです。
で、就職して働く中で、例えば後輩の新入社員研修の研修担当とか社外の福祉貢献活動で小学生に対して出前授業してみたりとか、いろいろ「教える」ことをやってみてたら、やっぱすっごく楽しいわけです。
それからまぁ曼荼羅に出逢い、これにいろんな自分の経験してきたものなどがぴったりはまって、結局会社も辞めて今これをやっていこうと日々奮闘なわけです。
愚者は教えたがり、賢者は学びたがる
で、今、天子屋や心理学講座など独自の講座でたくさんの人にオリジナルのコンテンツを教えているんですが、まぁ教える内容がいわば「人生哲学」みたいなところもあるわけですよ。どう生きればいいのか、みたいな。
自分よりも年長者に「若造が偉そうに」と一蹴されてもまぁそれはそれでしょうがないかとも思います。
そして僕の父はまぁどっちかというとそっち系の感覚が強い人で、ある時、こんな言葉を言われたです。
「愚者は教えたがり、賢者は学びたがる」
これを言われて、なんだかすごくショックだったんです。
今振り返れば、「しっかりと人生の中で実績・経験を積んでいくことがなによりも大切なんだよ」というメッセージなのだとは思いますが、
その時、なんだかすごく自分の大切なものを傷つけられた感覚でした。
自分なりにたくさんの人に伝えたいことや知ってほしいなと思うことがあり、それが仕事になれば嬉しいことと思っていたものが、ザクッといかれた感覚。
これって、親子関係ではまぁまぁよくあることでしょう。
ほんの些細な一言ですごくダメージを与えるor受けるってこと。
近いからこそ分かりずらいし、ダメージを受けた方もなかなか言いにくい。
でもたぶん、一番承認してもらいたい相手に一番承認してもらいたかったことを傷つけられた(と勝手に自分が意味づけただけですが。。。)ことが、わりと長~~~~く尾を引きます。
まぁそこからいろいろ悩みました。
(今自分がやりたいと思っていることは)もっと歳を重ねてからやった方がいいんだろうか、そのためにまたどこか雇われて頑張る必要があるんだろうか、まぁ、そこまで結果(売上)が出ているわけでもないから余計に。
でもやっぱりそれがやりたい
そう。結局自分がやりたいと思う気持ちには抗えませんでした笑
「偉そうに」とバカにされても(幸い今のところそんな人いない!)、何を言われてもやっぱり自分の正直な想いをしっかり形にしていこうと思いました。今も思っています。
ただ、やっぱりそう思える人ってわりと少ないのかもしれませんね。自分のやりたいを通していくみたいなのは。ホリエモンさんやキンコン西野さんみたいにあんなブレない芯を持ってる人は稀?笑
誰もやったことのないことだし、やり方もわからない。
けど、これが何とか形になれば、これは自分にとって何もにも替え難い財産になる。
正解はない、むしろ自分がやった実績が正解になる。正解をつくっていく。
起業家の人たちや開拓者はみんなそうやってやってきたんだから、それが道だ。
次元を越える愛と感動を創造する
時間や空間を超越して繋がる、そんな感覚をたくさんの人と共有していくこと。
それが僕が持っているすっごく大きなテーマ。人生の目的といってもいい。
神の領域との繋がり。それをしっかりと科学的にとらえていく。
たくさんの人と共有するために。
そのために、しっかりと今できることをやっていく。
最後すっごく抽象的だけど、改めて自分の想いの確認。
ここまで読んでいただいてありがとうございました。