漢字の成り立ちに後押しされる
愚者は教えたがり、賢者は学びたがる
自分の将来を表明したことありますか? - 天志曼荼羅A.R.T.ist天野武志ブログ
こちらの記事で、僕が父から言われてショックだった言葉を書きました。
僕は人に教える事が好きで、得意だからそれを仕事にしたい、と思っていたのに、その想いがザクッと否定されたように感じたんです。
「教える」っておこがましい事で、また30代の僕には早すぎることなのかなぁって。
漢字の「成り立ち」が後押し
まぁでもやりたいことはやりたいわけで、これからしっかりとその結果を作っていくだけなんだけど、先日ある言葉の漢字の成り立ちを改めて調べていたらとても素敵な意味があることを知った。
なぜ「成り立ち」を調べていたかというと、日本の歴史書である古事記は、
大和言葉(日本語)と漢字を
絶妙に使い分けて書かれていて、大和言葉と漢字の意味をしっかり理解しながら読むと、ストーリーの見え方が全く変わってくることを知ったから。
もともとあった大和言葉に、後からその意味や成り立ちが近い漢字を当てはめて使っている。
だから「訓読み」「音読み」がある。
学校ではそんな意味も敎わらず、とにかく覚えるだけだ。面白いはずがない…
調べたのは『敎育』という言葉。
(あ、ただし「教」の時はもともとは「敎」です。)
「敎」の字は、「メ」が2つに、「子」、そして「攵(攴)」ぼくから出来ている。
親(先生)が棒を持って子を指導する様子を表しているらしい。
え?!暴力で?!と思うかもしれないが、そうではなくて、「メ」の部分が交流を意味するそうで、つまり、
相互関係(お互いの意思疎通)がある。
強制的に何かを押し付けているのではないということ。
その「敎」に「オシヘル」という大和言葉を日本人は当てはめた。
「オシヘル」の語源は、
「ヲシム(愛しむ」
「オサヘル(抑える)」
「オシアヘ(食饗)」
からきているという。
オシアヘは聞き慣れない言葉だけど、簡単に言うと、お腹いっぱいに食べさせてあげる、ということ。
つまり、
「(親や先生が)愛を持って接しながら、良いことは良い・悪いことは悪いという適切な抑えをきかせながら、生きるために必要なことをたくさん与えていくこと」
が「敎える」の意味だ。
「育」の字は、「云」と「月(にくづき)」から出来ている。
「云」の部分が赤ちゃんが産まれてくる様子、「月」がふくよかに肉がつく=大きく育つを意味している。
この「育」にあてた大和言葉が「ソダツ」だ。
「ソダツ」は
「スダツ(巣立つ)」
「ソヒタツ(添い立つ)(傍い立つ)(副い立つ)」
からきているという。
つまり、しっかりと成長して巣立って行くまで、しっかりと寄り添い助け導いてゆくことだ。
『敎育』とは。。。?
「オシヘル+ソダツ」で意味を考えたら、
「お互いの意思疎通を図りながら、愛し、悪を抑え、生きるために必要なことをたくさん敎え与え、しっかりと巣立つまで寄り添って見守ってゆく」
ことだ。
そう、それこそがやっぱり自分がやりたいと感じていたことだし、本質だと思う。
そう考えれば、なんて素敵な仕事なんだろうと思えた。
自分が持つさまざまなことを、惜しげも無く与え、コミュニケーションを深めて行く。
その人がしっかりと自分の人生に気づき、築いてゆけるように助け導く。
天子屋の精神そのものだ。
与えることを惜しまず、その使命を果たしていきたい。